「デザイナーズエッジ」第9回開催レポート・第10回開催のお知らせ
最先端を走る空間デザイナーのための対話型イベント「デザイナーズエッジ」。
第9回は、建築家・中山佳子が語る「"建てること"のみにとらわれない建築」
7月29日、渋谷・ユニオンテック本社にて開催された第9回「デザイナーズエッジ」。今回のゲストは、2024年に独立し「株式会社中山佳子設計企画」を立ち上げた建築家・中山佳子さん。
元・日本設計の建築家として長年にわたり都市スケールのプロジェクトに携わり、現在は領域横断的アプローチによる「共感の空間化」をキーワードに活動の幅を広げています。
今回のトークセッションでは、モデレーター・黒田氏とのやりとりを交えながら、中山さんのキャリアの軌跡、建築との出会い、
そして“建築未満”の価値に向き合う姿勢について、率直な言葉で語られました。
原体験に流れる“つくる”という血
ものづくりへの感性は、中山さんの家族全体から受け継がれている。
「祖父は製材所を一代で築いた人で、父も組織設計を経て32歳で設計事務所として独立。母方の祖母は着物の先生で、もう一方の祖母は実家のゼネコンのカフェの一角でオートクチュールのサロンを営んでいました」
学生時代はクラリネットに打ち込み、中学3年で全国大会3位という実績も。
「その経験が良くも悪くも“やるからには突き詰める”という自分の姿勢につながっていて。高校でもクラリネットを続け、入賞できなければ建築へ──という覚悟で臨み、結果的に建築に進むことになりました」そして、大学進学を機に上京。
「大学では工学部に進み、設計組織ADHを主宰される渡辺真理先生の研究室に入りました。実は、その前に初めて住宅課題に取り組んだ際、「東京建築士会住宅課題賞」という関東圏の建築学科を対象としたコンクールに挑戦してみたんです。建築を学び始めたばかりの2年生で、イラストレーターの使い方すらよく分からないような状態だったんですが、なんといきなり1等賞をいただいてしまって……。」
「クラリネットの時と同じで、それが嬉しい反面、自分の中ではちょっとしたプレッシャーにもなって。「期待されてるから、ちゃんと応えなきゃ」と思って、そこからずっと頑張り続けるようになった、という感じでした。」
その後、大学院では「建築家養成スクール」として知られる横浜国立大学大学院 Y-GSAに進学。
「そこで、山本理顕さん、北山恒さん、飯田善彦さん、西田立衛さんという日本を代表する建築家に師事し、丸2年間、建築にひたすら向き合いました」
「これらの作品は(投影中)、いずれも学生時代に手がけたものです。どちらの作品にも共通しているのは、「地域らしさ」と「現実の都市で起きる課題解決」をどう両立させるか、という視点を持って取り組んだ点です。学生の設計課題というのは、ある意味ファンタジーでも構わない部分があります。これは学部卒業時の卒業設計です。卒業設計は実現性や容積率の制限に縛られず、自由な発想で取り組むことができるものですが、神田地区を対象に、長屋や路地の面影が今なお残る地域において、空き地や駐車場の間に無秩序に建つ高層マンションが乱立する現状を目の当たりにし、その中で「神田らしさ」をどう受け継げるのかを真剣に考えました。」
「そのため、容積率600%という設定をあえて守り抜くという縛りを自らに課して取り組みました。正直、作業を進めるうちにどんどん設計が“つまらなく”なっていくような感覚もあり、かなり苦しい時間でもありました。でも、そこで諦めずにやり切ったことで、自分なりのリアリティのある提案にたどり着けたのではないかと、今振り返って思います。」
現実に起こっている都市の問題には、必ずそれが生じた理由があります。その背景にある仕組みを理解した上で、地域に固有の景観や文化とどう結びつけるか。そうした文脈を踏まえたうえで、既存のルールや制約を乗り越えるような、新たな設計手法を模索するという姿勢が、この頃から自分の中に根づいていたように思います。」
そうして、Y-GSA修了後は、大手組織設計事務所である日本設計に就職。
「Y-GSA出身者は、「アトリエ系」と呼ばれる、主に一人の建築家が主宰する小規模事務所を目指す人が多いのですが、私は敢えて大手組織設計に行きました。ちょっと変わった進路でしたが、“クリエイティブ”と“ビジネス”の両輪で学べたことは大きかったです。」
日本設計での13年半のうち、前半7年は建築設計群で王道の設計業務に取り組み、後半6年半はプロジェクトデザイン群で多角的な領域に挑戦する。
「建築が“発注される前”から関わるようなプロジェクトに多く携わるようになっていきました。クライアントと問いから見つめなおし、『そもそも何を作るべきか?』『建てる必要はあるのか?』そういった問いに立ち戻る仕事です」
その経験を活かし、2024年10月2日に自身の会社「株式会社中山佳子設計企画(YNAA)」を設立。あえて「建築」という言葉を社名に使っていないのも、彼女のスタンスを象徴している。
「空間を通して価値を届けるのが私の仕事。必ずしも、“新築する”にこだわらなくてもいい。グラフィック・サインデザイン、エリアデザインなど、多様なアウトプットを視野に入れた空間づくりが、今後益々重要になるのではと思っています。」
組織の中で個を耕す──“シナジーキャリア”の形成
社会人になってからは、常に“違和感”や“モヤモヤ”があったという。
「Y-GSAを首席で修了し日本設計に行ったら、先生から『なぜアトリエに行かないんだ』と叱られました。でも、私はY-GSAの教育の主眼であった「建築を通し都市をつくる」ことを実践で学びたかった。大手事務所こそY-GSAで学んだことを体現できるのではないかと。」
しかしながら、建築の大規模化が進む中で若手が竣工の近い設計に携われる機会は少なく、キャリア形成は“巡り合わせ”に左右されることも多かった。
「“いつか良いプロジェクトが来る”を待つだけの時間に焦りを感じて。そこで、私は“シナジーキャリア”という働き方を実践するようになったんです」
組織に属しながらも、個人の活動を並行し、相互に相乗効果を持たせる──それが中山さんの定義する“シナジーキャリア”だ。しかしながら、多くの建設系国内企業がそうであるように、在籍した会社も副業禁止。中山さんは工夫を凝らし、“副業未満”の活動を複数展開。企業ロゴのオープンコンペに応募し採用されたり、年賀状デザインを手がけたり、故郷である茨城県の移住促進プロジェクトやまちづくりに関わったり…。
「社外で得た経験が、プロジェクトデザイン群への異動後に本当に活きました。非定型な案件ばかりだったので、社内で先行事例や知見が存在せず、個人活動で得た知見の引き出しがフル活用できたんです」
「一番の気づきは、“面白い仕事が来るのを待つ”のではなく、“すべての仕事をいかに面白くできるか”とマインドチェンジをしたことです」
組織任せのキャリアから、自分起点の選択へ。誰かにロールモデルを求めるのではなく、自ら“つくっていく”感覚へ。
「建築やデザインに関わる人は、“仕事と生活”を切り分けられないと思うんです。生活の中で得た気づきや感動こそ、仕事に活きてくる。昨今の労働環境における残業規制の中で”ワークライフバランス”という言葉が一人歩きしていますが、業種によって価値観は異なるはず」
「共感が風景になる家」― 自邸〈INOKASHIRA 2.0〉に込めた思い
「こちらが日々を共にする空間です」
プロとして空間の企画・構想から携わるスタイルを貫く彼女が、自らの“暮らし”と“仕事”を重ね合わせるかのように設計したのが、自宅兼設計事務所である「INOKASHIRA 2.0」だ。この家が建つのは、井の頭公園の南側に広がる静かな住宅街。戦前は別荘地として栄え、広い南庭と生垣のある邸宅が連続していたという。中山さんは、そうした景観の記憶を“第一世代”と名づけた。だが近年では、相続の関係などで土地が細分化され、いわゆる「旗竿地」が増え小さな住宅が密集していく様子が目立つように。
「本来この街には“緑が街をつなぐ”ような、暗黙のルールがあったと思うんです。でも今は、高いフェンスと駐車場だけが連なる、自分の敷地だけを守るような設計が増えてしまっている。だからこそ、狭い旗竿地でも“真似したくなるルール”を示せたらと思いました」それが「INOKASHIRA 2.0」と名付けた理由だ。
路地からつながる「都市的な暮らし」
中山さんの夫は都市計画のコンサルタント。「我々夫婦は街歩きが好きなので大好きな井の頭のまちの延長として暮らしを設計したいと思いました」。
家の構成は、細長い旗竿地の奥に、L字型に生活空間を配置。さらにスキップフロアで5層を重ね、それぞれの居場所を互い違いにレイヤーとして積んでいく。「一つながり」でもありながら、「自立した居場所」でもある構成だ。
特筆すべきは、敷地の対角に配置された三角形の“間”である。ダイニング、ルーフテラス、ポーチ――それらが家の内と外、住人とまち、パブリックとプライベートを緩やかにつないでいく。「さんかくコモン」と名付けたその構成が、公私の空間境界を曖昧にし、まちを住空間に取り込んでいる。
さらに意識したのは、敷地境界のつくり方だという。あえて隣地との境界塀を低く抑え、むしろ庭を共有するように開いてみた。すると、当初は未整備だった隣家も、それに呼応するように庭をつくりはじめた。
「気づけば、我が家の植栽に水をやってくださるようになっていて(笑)。イチジクやバラを交換し合ったり、害虫対策も一緒にしたり。言葉では交わさなくても、風景を通して“共感”が生まれていたんです」
決まりをつくるのではなく、設計の工夫を介して生まれた“風景の共有”。
この空間の在り方こそが、中山さんが目指す「共感の空間化」の原点なのかもしれない。
東京駅の新しい玄関口「バスターミナル東京八重洲」空間デザインの舞台裏
都心部再開発の大規模プロジェクトの中で、「意思のある空間づくり」を貫く挑戦。それが、中山さんがデザインディレクションを担う「バスターミナル東京八重洲」のプロジェクト。
舞台は、東京駅八重洲口側の再開発エリア。都市計画の一環として、段階的に整備される再開発ビルの地下空間に、地上のバス停を集約したバスターミナルを整備することで、交通の混雑緩和と公共空間の質の向上を同時に目指すというプロジェクトです。
「再開発事業は関係者非常に多く、合意形成を経る中で無難な設計に収束してしまいがち。実はそれは逆で、多くのステークホルダーがいるからこそ、固有のビジョンとデザインが効力を発揮します」
中山さんは、再開発ビルの区分所有者である、UR都市機構のデザイナーとして、デザインディレクションを行いました。事業推進のコンサルティング、2020年に開業した第1期エリアの空間デザイン、そして現在進行中で、2029に完成予定・第3期エリアの空間デザイン、サインや什器等の関連工事のデザインマネジメント。空間はもとより、プロジェクトそのもののデザインも担っています。
ふるまいを誘う、空間デザイン
再開発が進行する中、初期の設計段階ではすでに図面が完成し、空間の骨格が固まりつつある状態だったといいます。しかしその内容は「世界に誇れるバスターミナル」という理想には遠く、あえて設計業務を差し戻し、2ヶ月で設計を刷新するという判断を下しました。
「バスターミナルは、目的も速度も異なる人たちが同じ空間に共存する非常に難しいプログラム。空港のような“ゾーン分け”ができないからこそ、建築・照明・サインを一体化させたトータルなデザインが必要だったんです」
中山さんが導き出したのは、「迷わず移動できる・滞在できる」ことを軸とした空間構成。柱をサインボードに見立てて情報を集約し、3500mmの天井高を活かして照明のラインで動線を可視化。
待合スペースには“明るい雲”のような柔らかい光を落とす天井を設け、旅立ち前に一息つける優しさを添えました。
デザインマネジメントで“意思”を貫く
大規模公共施設でよく見られる“バラバラ感”——建築はシャープでも什器がチープ、サインがわかりにくい……。
これらの背景には、発注主体の差異による、トータルデザイナーの不在によってもたらされるケースが往々にして存在します。そうした状況を回避するため、運営事業者発注となる什器、サインといった関連工事の「デザインガイドライン」を定め、運営事業者の公募要件に履行義務を付与していただきました。デザインガイドラインに基づき、20種類弱の関連工事のデザイン監修を実施しています。プロジェクト初期からBIMモデル内に、建築・照明・サイン・什器のすべての要素を取り込み、あらゆる関係者が“共通言語”を持って設計に向き合える体制を構築しました。
「空間のみならず、サインや什器をふくめたトータルデザインを行うには、ときに事業者間の取り決めや発注形態自体から見直さないといけません。」
旅立ちのシーンを演出する世界観、分かりやすいサイン、自動券売機のまわりの仕上げ、待機列パーテーションの色、床仕上げとサインの干渉防止……それらすべてに統一感と思想が宿っています。
使われながら育つ空間へ
プロジェクトのユニークさは「開業して終わり」ではなく、運営後も進化し続けている点にもあります。
多数の利用者がいる公共交通施設では、運用開始後に「注意喚起の張り紙だらけ」になりがち。オーナーより依頼をうけている開業後のデザインマネジメント業務に基づき、現場に生じた張り紙などをパトロールし、必要性を精査。必要であればサインやプロダクトデザインを行いし、正式な要素として再構成していく。
たとえば、「乗り場の先頭」を示すオリジナルのポールサインは、開業後に生まれたプロダクト。空間の一部として、視認性と調和を両立させるサインが追加されました。
国内外での高い評価と、次なるフェーズへ
この挑戦的なプロジェクトは、国内外で10を超える建築賞・デザイン賞を受賞。
「機能性一辺倒だった日本のバスターミナルに、“旅立ち”という非日常の感情を宿らせたこと」が評価のポイントだったといいます。
現在、中山さんはこの第1期のコンセプトを継承し、2029年開業予定の第3期エリアの空間デザインに携わっています。
「バスターミナルのような“通過点”にこそ、都市の質が現れる。その場所に思いを込められるかどうかは、デザインの力次第なんです」
「迷わず」「気持ちよく」「記憶に残る」そんな空間が、東京の新たな玄関口を静かに変えようとしています。
「空洞化したハレの場を、日常を生きる暮らしの島へ」——MITO LIVING ISLAND構想と10の実験拠点
茨城県水戸市。かつて城下町として栄えたこの街の中心部は、長らく都市空洞化の象徴ともいえる課題を抱えてきました。そんな地元の未来に本気で向き合った中山さんが提唱したのが、街全体を“日常を生きる暮らしの島”に見立てた《MITO LIVING ISALAND》構想です。
「水戸は私の故郷であり、課題の深さを肌で感じてきた場所でした。中心市街地の空洞化が特に顕著で、2020年前後には“県庁所在地で唯一の地価下落”として毎年取り上げられるほど。再生には時間がかかると誰もが思っていた街ですが、せっかく関わるのなら痕跡を残す結果を出したいと考えました。」
「《MITO LIVING ISLAND》は単なるネーミングではなく、街の地形や歴史をもとに見立てたビジョンです。水戸という地名は“水の扉”と書きますが、実際には水をあまり感じられない街です。でも地形をよく見ると、標高0mの低湿地帯に囲まれ、中心市街地だけが30mほど高い丘になっている。まさに、かつて水の中に浮かぶ“島”のような構造をしていたんです。
これを現代的に解釈しなおし、「学び・働き・暮らす場」として再定義する構想を《MITO LIVING ISLAND》と名付けました。」
最初に行ったのが、オンラインでのシンポジウムです。構想を広く共有し、「一緒にやりたい」と声をあげてくれる仲間を募る場にしました。すると、全国・県内外から共感者が続々と集まり、市民参加まちづくりのプラットフォーム「水戸まちなかデザイン会議」が立ち上げました。16歳の高校生から70代の地権者まで、総勢450人ほどが、半年で10回のワークショップに参加にいただきました。
「まちなかリビング」と題した10の実証実験会場
水戸駅北口の中心街エリアにある500mほどの通りと、そこに隣接する小さな空間たち——車庫、貫通路、民間ビルの屋上、公共広場など——を10カ所選び、まちなかで過ごす日常の風景をつくる実験を行いました。
ただし予算がほとんどなく、建築的な整備が難しい。だからこそ、サイン・グラフィックデザイン、照明デザイン、インスタレーションなどローコストでできる手法を組み合わせ、人の「行動」を変える工夫を重ねました。
また、水戸まちなかデザイン会議のワークショップでは、意見を聞いて終わるのではなく、「まちなかチャレンジ」と称して、参加者自身が実験会場で自ら実行する機会を設けました。大学生のカフェ、老舗のお茶屋さんのテストマーケティングカフェ、子供の遊び場、など、10以上のチームにより活動が生まれました。
「ビジョンを表現したロゴマークや、水戸まちなかに合うカラーパレットを盛り込んだ、デザインガイドラインを配布し、活動がばらけず一体感を持てるように工夫しました。」
「このプロジェクトの最大の成果の1つは「未来ビジョンへの共感度」が実証実験前後で約20%上昇したこと。もう1つは、全て3週間で終了予定だった仮設の場所が、半数以上、地元住民や行政の協力と要望により継続されたことです。なにより、「自分ゴト」としてビジョンに共感した個人が、やがて自身の組織に変化を持ち込んでいく。その“種まき”を、短期間でここまでやれた成果を確かに感じました。」
今後の展望「《共感を空間化する》その先へ —— 建築とビジネスのあいだに、新しい道をつくる
「Y-GSAは、社会や都市、国家といった大きなスケールのテーマを空間の視点から、建築家の立場で深く考える教育だったんですよね。私自身、そこに通っていた頃は、建築から社会をどう変えるか、ということばかりを考えていました。でも実際に仕事として事業者の皆さんと向き合うと、重きを置いている価値観や、考えている前提が全然違う。あ、こんなにも乖離してるんだな、っていうのが最初の驚きでした。」
「意匠性の高い建築って、建築家が思うほど社会に求められていないのかもしれない……」と感じたこともあるそうです。でも、それは“建築”そのものの価値ではなく、「ロジックの組み立て方」が異なっているからではないか——そう気づいてから、中山さんの視点は変わっていきます。
「たとえば、さっきご紹介した水戸のプロジェクトや、バスターミナルの計画など、大きなプロジェクトになればなるほど、関わる人が本当に多いんです。事業者、施工者、所有者、再開発組合、利用者…立場によって『大事にしたいこと』って全然違う。でも、その声をただ表面的に並べるのではなくて、その根底にある本質的な想いや背景を丁寧に受け止めて、そこから“共通の言葉”にしていく。意図を絵にして、ユニークなコンセプトとデザインに昇華させることで、むしろプロジェクトが一気に進む、ということを体感したんです。」
建築家の「第3の道」をつくる
そんな中山さんが今、強く感じているのは「建築家としての新しい選択肢をつくりたい」ということ。
「アトリエ系と組織系。私たちの世代もそうですし、今の20代も60代も、建築設計事務所って二極化しているように見えます。でも、本当にそれしかないのかな?って。もっと“あいだ”の道があってもいいんじゃないかと思うんです。」
• デザインだけでなくPM(プロジェクトマネジメント)もできる
• 都市計画やサイン・グラフィック・照明といった分野も横断できる
• 個人も法人も対応できる
• 都心も地方も、規模の大小も問わずに動ける
「つまり、“新築が前提じゃない時代”に、柔軟にアウトプットを導ける存在。そんな立ち位置が、きっとこれからもっと求められるし、私自身もその道を模索していきたいんです。」
2024年に設立した株式会社中山佳子設計企画は、まもなく設立から1年を迎えます。常に5~6件のプロジェクトが進行中。
「本当にありがたいことに、茨城県笠間市で築90年の古民家をリノベーションするプロジェクトや、東京都中央区の大規模複合施設の商業リニューアル、150年続いた“幻の食の横丁”を再生するストリートデザイン、さらにはバスターミナル東京八重洲第3期エリアのデザインディレクションなど、都心・地方問わず、スケールもジャンルも多様な案件が動いています。」
「これからは、一緒に走れる仲間を少しずつ増やしていきたいですね。クリエイティブとビジネスの両方に興味がある人。価値観に共感してくれるガッツのある方。ぜひお声がけいただけたらうれしいです。」
都市と建築の“あいだ”に立ち、共感を翻訳していく。
中山佳子さんの挑戦は、まだ始まったばかりです。
次回「デザイナーズエッジ」第10回 開催のお知らせ
開催日時:2025年9月12日(金)
開場18:40~ 講演19:00~ 懇親会20:15~
開催場所:東京都渋谷区道玄坂2-25-12道玄坂ビル4F(ユニオンテック株式会社オフィス)
※入場口3Fロビー前(入場の際QRコードが必要になりますのでメールにて送らせて頂きます。)
参加費:無料
<対象者>
建築家、デザイナー、学生
<定員>
100名 ※一部オンライン対応
応募フォームよりご記入頂き参加お申込み頂きます。
イベント詳細
お申し込みフォームはこちら
講師:株式会社髙濱史子小松智彦建築設計
代表取締役 髙濱 史子 Fumiko Takahama
2003年 京都大学を卒業
2007年 東京大学大学院修士課程を修了
2007–2012年 スイスの著名建築事務所Herzog & de Meuronに勤務。
2012年 +ft+/髙濱史子建築設計事務所を設立。
2015年 35歳以下の若手建築家によるガラス建築の設計競技で最優秀賞を受賞
2017年 工学院大学非常勤講師に就任。
2023年-2025年 芝浦工業大学非常勤講師に就任。
2024年 事務所を株式会社化し、「株式会社髙濱史子小松智彦建築設計」に改組
2025年 東京大学非常勤講師に就任。